和歌山県橋本駅の空爆の記憶

kinbee
和歌山県橋本市の叔母の元へ、恒例のお年始に行きました。

いろんな話をしているうちに戦争の話になりました。

以下、叔母の話を要約したものです。

少し伝え間違いがあるかもしれませんが、知っていただきたいと思いブログに記録します。




橋本駅は貨物の燃料が備蓄されていたそうで、それを狙って1機の爆撃機がきたそうです。

空襲警報がなった直後に爆撃機がやってきて、逃げる間もなかったそうです。

爆撃機は燃料や周辺を爆破したそうです。


家は橋本駅近くにありましたので、母親は子供達に布団をかぶせたそうです。

3人の子供達は一つの布団の中に頭を隠したそうです。

爆音がする度に母親は布団を子供達の上に乗せ、空襲が終わった頃には、布団の重さで息も苦しかったそうです。

空爆が終わった後、男の子は薬莢(やっきょう)を集めに行って親に叱られたそうです。

その空爆で、たまたま周辺にいた中学生と何人かが亡くなり、沢山の人がけがをして、病院はどこかと大騒ぎになったそうです。

たった一機の爆撃機でも、あんなに沢山の人が犠牲になるんや。

戦争は絶対にいやや!!!




戦争中、食糧は配給制で、米とひえとあわとふすま。

おかずになるようなものはなかったそうです。

食糧が足りなくて、農家の親戚の家に頭を下げてお米をもらいに行くと、厳しい言葉を言われ、農家の手伝いをしたり、農家の柿の木の下を借りて芋を植えたりして食べ物をもらっていたそうです。

やっと親戚からもらった米を、弟が電車で持ち帰る帰る時に、憲兵につかまったそうです。

ヤミ米を買ったと疑われ、警察へ連れていかれたそうです。

駅までならすぐですが、家から遠くの警察まで歩いて弟を迎えに行った時には、弟は泣いていて、叔母も情けなくて泣けてきたそうです。

戦争はしたらあかん!!!

今年最初の叔母の叫びです。